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渝新能源 石壕煤砿
Yuxin Energy / Shihao Coal Mine
2017.3.14
レポート : 【 2017.3 】  【 2017.9 】
         
   
石壕煤砿の存在を知ることができたのは、中国の新聞社が掲載した あるネット記事のおかげでした。

記事は 「重慶の石壕煤砿には ズリ捨て列車が走るトンネルがあり、 地元の緊急車両も 利用している」 という内容で、トンネルから出てきた救急車が 線路を跨いで走る写真が 印象的でした。

写真を見て 2015年の年末に訪れてみたのですが、その時は 残念ながら 年末で休業中でした。

今回の再訪では、重慶市内から 日帰りで訪問することになり、打通鎮のバスターミナルから先は 面包車と呼ばれる 小型の乗合自動車に揺られて行くことになりました。

なお、現地には 重慶の張 仁和さんに 同行していただきました。
 
   

 
 
  我々の乗った面包車が ズリ捨て線の踏切を通り過ぎたのは、11時頃のことでした。

下車してすぐに 踏切脇の店の主人に聞いたところ、この日は ズリ捨て列車が走っていることがわかりました(ひと安心)。


 
     
  早速 ズリ捨て場を目指して 線路伝いに 歩き出しましたが、トンネルの手前で 中から出てきた乗用車と 鉢合わせしてしまいました。

どうやら このトンネルを利用しているのは 緊急自動車だけではなさそうです。

奥に見えているのが、地元の人達も 利用している葫芦隧道("へちまトンネル" の意)です。
 
     
  葫芦隧道の幅は狭く、中で 列車と乗用車がすれ違えるようなスペースはありません。

200m ほどのトンネルを抜け出ると、終点のズリ捨て場までは あと少しです。
     
  11時半に ズリ捨て場の積替施設に到着してみると、ズリを降ろし終えた列車が、妙な位置に停まっていました。

電気機関車にトラブルが生じ、走れなくなったのだそうです(1号機)。

なお 後方に見えている 構造物が、ズリ捨てのインクラインです。
     
  10分ほど待っていると、後続のズリ捨て列車が 到着しました(8号機)。

前方に列車がつかえているためか、機関車は 少し手前で機回しを済ませ、その先は 推進運転で トロッコの編成を 押し始めました。
     
  積替施設への 押し込みが一段落すると、機関車は トロッコから離れてしまいました(8号機)。

この後は どうするのでしょう?

ちょうど その時、こちらへ来る途中で すれ違った乗用車が 帰ってきました。

 
     
  機関車は、故障中の空車列車の方へ 泥しぶきをあげながら 近づいて行きました(8号機)。

未舗装の併用軌道ですから、大雨の後は 線路が 至る所で 泥の中に沈んでしまって 大変な状態です。

これでは、機関車が故障するのも 無理ないな と思いました。
     
 
炭砿へ戻る空車列車は、向かいの丘に登って 撮ることにしました。

11時50分になると、恐らく 2編成分の空車を繋いだ 長大編成が通過して行きました(8号機+1号機)。
     
  上の写真の続きです(8号機+1号機)。

一見、重連運転のように見えますが、2両目の機関車は 回送の故障車両です。
     
  空車列車が去った後で、積替施設を訪れました。

終点はエンドレス状になっていて、このようなチップラー小屋が建っています。

ここでトロッコから降ろされたズリは、地下のベルトコンベアを介し 左側のインクラインへと運び込まれる仕組みです。
     
  もっとも、チップラー小屋の脇には ご覧のようなズリの積出施設も併設されており、近頃では ダンプカーを使って 他所へ搬出する方が多いようです。

インクラインで 運び上げても、ズリを捨てる余地が あと僅かしか 残っていないから だそうです。
     
  13時半になると 次のズリ捨て列車が到着しました(8号機)。

写真は、機回しを終えた機関車が、空トロッコを曳いて 戻って行くところです(8号機)。

これを機に、私達も 立坑の方へ 向かうことにしました。


 
     
  ところが、前回は 中に入れてもらえた立坑施設ですが、この日は 操業中ということで 立入りを断られてしまい、やむを得ず 撤収することにしました。

ここでは、2015年の休業時に 立坑施設を訪れた時の写真を 代わりに載せておきます。

立坑のヤードは、苔むしたコンクリート構造物が印象的でした。

機関車は いずれも停まったままで、左手に2号機、右手に1号機、そして奥の方には 緑色の8号機の姿がありました。

 
     
  その時は ズリ捨て列車も運休中でしたので、この機会を利用して、沿線では 石畳の取り外しと搬出作業が行なわれていました。