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葛洲坝集団  老河口水泥
Gezhouba Group / Laohekou Cement
2015.10.11-12
レポート : 【 2015.10 】  【 2016.6 】
         
   
老河口水泥の専用線については、インターネット等で 2010年に複線化が 進められたことが わかっていましたので、今なお運行されているに違いない と考え、訪問してみることにしました。

ただ、訪問初日の 10月11日は、国慶節明けの日曜日でしたので、 果たして 平常どおり操業しているか?と 不安に思いながら スケジュールを組みました(訪問の結果 年中無休の運行で、杞憂であったことが 判明)。

老河口には、武漢から高速鉄道を利用して 湖北省第二の都市であるに襄陽に行き、翌朝 バスで 向かいました。

なお、今回の通訳は 武漢のガイドさん(李衛雄氏)にお願いしました。
  
   

 
 
  老河口の街から、タクシーで 老河口水泥の工場に向かいました。

車庫や 荷卸しの施設は この中にあるはずですが、警備が厳しくて 進入は 見合わせざるを得ませんでした。
 
     
  タクシー運転手のアドバイスに従い、工場近くのX042県道 の踏切へと 向かいました。

写真は、帰り際に撮ったものですが、この踏切に 石灰石列車が やって来たところです(04号機)。

 
     
  踏切では、線路脇に住む老人が、列車の通過する度に 交通を遮断していました(04号機)。

老人によると、老河口水泥の専用線には 3箇所の大きな踏切があり、同じように 老人が 安全運行を 支えているそうです。
 
     
  踏切付近で待っていると、工場からの空車列車がやって来ました(08号機)。

複線化に伴い 増設された軌道は、殆どの区間で 既存の軌道の西側(写真 右側)に 併設されています。

その結果、既存の線路を 空車列車が、また 新たに 強化された線路を 石灰石列車が 走ることが できるようになっています。

老河口には 2日間 滞在しましたので、以下、撮影順序とは関係なく 積替施設に向けて 北上する形で ご紹介させていただきます。
     
  踏切の少し先で 県道と別れると、軌道は 丘陵地のなかに 入って行きます。

雷家溝と呼ばれる村の丘陵で、石灰石列車の通過の様子を見守りました(08号機)。

周りの畑では、とうもろこし の収穫が終わったばかりです。
     
  08号機(WHY380型)の 銘版です。

2010年3月に、常州市万航工砿設備で製造された 比較的 新しい ディーゼル機関車 です。
 
     
  雷家溝では、孟橋川水庫(ダム湖)が 線路のすぐ近くまで迫っています。

空車列車が 通り抜けていきました(04号機)。
     
  軌道は 孟橋川水庫 の北端をかすめるように 敷設されています。

水庫 を見おろす築堤に、空車列車がやってきました(11号機)。
     
  孟橋川橋梁の傍にある踏切で、通過する空車列車を撮りました(08号機)。

ここでも、別の老人が 踏切番を 務めていました。
     
  灰石列車が、孟橋川橋梁を渡ります。
     
  橋梁の北、2km 程の場所で 石灰石列車を 撮影しました(08号機)。

ここから先、常岺と呼ばれる勾配区間となります。
     
  常岺では、既存線はカーブを描きながら 勾配を登って行くのに対し、新線は 一直線に短絡するルートで 敷設されました。

新線区間を 駆け下りるように、石灰石列車が通過して行きます(08号機)。


 
     
  同じ区間で 既存線の勾配を上って行く 空車列車です(04号機)。
     
  常岺の勾配を上り終えると、別のダム湖である 孫家洼水庫 が現れます。

ここから 終点の積替施設までは、もう少しです。

写真は、積替施設を出てきた石灰石列車です(11号機)。
 
     
  終点の積替施設です。

2kmほど 離れた砿山から ベルトコンベアで運ばれてきた 石灰石は、ここで 列車に積載されます。

この施設では、ホッパーの両サイドで 石灰石を積載できるようになっているため、相前後して やって来た 2列車が このように 並ぶことが あります(左11号機、右08号機)。
 
     
  空車列車が 終点の 積替施設に 到着しました(08号機)。

機関車は、ここで貨車を切り離した後、更に奥へと 進みます。
 
     
  積替施設の先には ターンテーブルがあり、片運転台の機関車は ここで 方向転換を行ないます(08号機)。
     
  積替施設の東側には、かつて旧砿山に つながっていた廃線跡を 見ることができます。

レールは残っているものの、今では 干し草や 雑草に覆われていて、牛が のんびり 寝そべっていました。